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「気づく」ことは「傷つく」ことからきている

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『「気づく」ことが「傷づく」ことからきているとわかり新たな発見でした』
と大変奥深いメッセージを残してくれた生徒さんがいます。
その場では特に触れなかったのですが、後になって「彼女は殻を破り始めているのかしら」とひとり微笑んでおります。
それにしても自分のことって案外わからないもの。
『本当の自分と向き合うのが怖くて、ずるずるときてしまった』
『そこそこ幸せだし、別に無理して向き合う必要もない』
こんな風に思っている人って、ものすごく多いのではないかと思うのです。と同時に、今まで目を逸らせていたなと、最近気づき始めた人もいるのではないでしょうか。
この生徒さんがおっしゃるように、そう思えたこと自体が自分にとっては相当な「気づき」であると認識できたら、これほど素晴らしいことはありません。またそこで深い「傷つき」が生まれたとしても、それはあなたが気づいた証であり、あとは新しい道へ進んでいくまでです。
見栄えのよい鎧を着ていることでいつも安心していたとします。でもその鎧は、決して自分らしくないとしたらどうでしょうか?
多くの人は、このことになんとなく気づいています。でもそれを認めたくないのかもしれない。もっと言えば、この鎧を脱ぐ強い勇気も、脱いでから笑顔になれる自信もないのかもしれません。
自分と向き合う行為というのは、本来なら敢えてするものでもないのかもしれない。実際に私の身近な人にも、自身の経験を通じて、自然と自分を客観視できていて、昔からON時も、OFF時も、とっても自分らしく、裏表のないという人がいます。その姿は容姿端麗とかのレベルではなく、見ているだけでとても美しいものを醸し出しています。
当の本人はそのことにちっとも気づいていませんが……。^^
誰もがこうであったら、どんなにスムーズに物事がいくのだろうって思います。でも現実は違います。しかも年々社会は、絡まったコードのように複雑化していきます。となるとどうしても不器用になってしまう人が溢れ出てくるのもやむを得ないことなのかもしれません。
絡まったコードを自分で解くことの出来る人もいれば、誰かの手を借りてやっと解ける人もいます。
鎧が思うように脱げない自分に気づいたら、やはり誰かに解いてもらう必要があります。そして覚悟して、しっかり傷つく必要があるのかなって、厳しいですがそう思うのです。
もちろん気づきがすべて傷つきとは限りません。ただ気づくことで、そして傷つくことで、以前とは違った自分と出会えることは間違いないと思います。
少しでも可能性があるのなら、いっときのダメージなどなんてことない。むしろ一生目をそらし、気づくどころか傷つくことから逃げているほうが、最終的に受けるダメージは、とてつもなく大きなものになってしまうでしょう。
急ぐ必要はありません。でも今、この瞬間かも…って思えたら、そのタイミングは決して逃してはいけません。それがたとえ些細なことであっても…。
直感力って本当に大事だと思うんですよね。
今はただ、気づくことで傷つくことになる、でもこれって、案外嫌なものでもないんだなってことを、生徒さんに自ら思ってもらえたことにとても嬉しく思っています。
これからもみなさまのために精一杯頑張っていきたいと思います。
そして自らもまた、気づいて傷ついて、もっと成長していけるように精進したいです。